ご主人は77歳、奥さんは66歳、まだまだ若い奥さんが思いもかけず認知症になり、それまで二人で暮らしていた大田区六郷・多摩川沿いの小さなアパートを離れ、近くに住む息子夫婦のマンションに同居するようになった。穏やかであったはずの老後の暮らしが、奥さんの病で一変した。わずか17年前であるが、認知症高齢者に対する社会の受け止め方も、介護の環境も今とはまるで違う。介護保険などまだ出来ていない時代なので、家族以外に見守る人はおらず、ご主人の懸命な介護も空しく認知症が改善しない。そんな中で思い巡らした結果、ご主人はこれまで貯めてきたささやかな貯金を降ろし、息子夫婦に遺書を書き残し、奥さんを連れて二人の生まれ故郷である直江津へ向けて死出の旅路に就いた。旅先の宿帳には偽名を使い、電車を乗り継いでは宿から宿へと転々とする旅を続けた。旅先でのエピソードからは、ご主人が最後の最後まで実は死を決心しきれていない様子が伺われた。「自分自身ももういい年だ。今後、妻より先に何か自分に起きた場合、妻の面倒は誰が見るのか、息子夫婦にもこれ以上迷惑はかけられない、しかし、自分が最後まで妻の面倒を見るのは精神的にも、肉体的にも限界だ。戻るも地獄、進むも地獄、ならばいっそのこと二人でこの世に別れを告げよう」そんな気持ちであったのかどうかは分からない。東京を出て新潟に入り25日後のその日、二人は一旦上越新幹線で越後湯沢まで戻りながら、再び直江津に戻り、日本海の波間へと消えていった。
ご主人が選択した結論が、誤っていたとは決して思わない。愛する妻を、責任をもって看病しなければならないという極めて責任感に満ちた気持ちに基づく勇気ある行動であったと私は思う。もしかしたら、二人で最後の旅に出て、二人で過ごした時間はとても幸せであったかもしれない。決して不幸な死ではない、私はそう感ずる。しかし、このことを社会はどう受け止めるのか、政治はこのことをどう受け止めるべきなのか、これは別問題である。このような悲劇を生んでしまった日本社会は、とてもでないが豊かな社会であるとは思えない。バブルの絶頂期に、NHKではこのような番組が堂々と放送されていた。経済的利益をがめつく貪ることが出来ることをもって、日本経済が繁栄していると勘違いしていた多くの人々がいる一方で、こうして目の前の大切な家族の介護に苦しみ、自ら命を絶っていった人もいた、このことを私たちはしっかりと胸に刻まなければならない。
あれから17年が経ち、目の前に超高齢化社会が到来しようとしている。介護保険制度導入により、経済的対価を支払えば家族が介護の大変さからは一応開放されるようになった。この制度により救われることになったものも大きいが、介護される方々、家族双方にとり、本当に精神的な幸せ、幸福をもたらしているのかどうか、これは分からない。しかし今、後期高齢者医療制度導入における混乱、極めてずさんな社会保険庁の実態などを見ても、社会保障制度という国家の根本が大きく揺らぎ、国家としての安定を損なっているとしか思えぬ状況になっているのは事実である。
「その日の日本海は、波穏やかでした」というナレーションが、波の打ち寄せる日本海の映像をバックに静かなBGMとともに流れ、この番組が締めくくられる。この日本はいま、本当に大きな波に飲み込まれ激変しようとしている。物質的にこれだけ豊かでありながら、本当に一人ひとりの日本人は幸せを感じているのだろうか、将来の生活に希望を持って生きているのであろうか。政治が果たさねばならぬ役割の大きさを、益々もってひしひしと感ずる。






